表現行列は線形代数において非常に重要な概念です。ベクトル空間 V から W への線型写像 f: V→W があるとき、V と W の基底を固定することで、この写像を行列として表現できます。これが表現行列です。
具体的には、V の基底を {v₁, v₂, ..., vₙ}、W の基底を {w₁, w₂, ..., wₘ} とします。線型写像 f によって V の基底ベクトルがどのように写されるかを考えると。
f(v₁) = a₁₁w₁ + a₂₁w₂ + ... + aₘ₁wₘ
f(v₂) = a₁₂w₁ + a₂₂w₂ + ... + aₘ₂wₘ
...
f(vₙ) = a₁ₙw₁ + a₂ₙw₂ + ... + aₘₙwₘ
このとき、係数 aᵢⱼ を要素とする m×n 行列 A が、基底 {v₁, v₂, ..., vₙ} と {w₁, w₂, ..., wₘ} に関する f の表現行列となります。
A =
⎡ a₁₁ a₁₂ ... a₁ₙ ⎤
⎢ a₂₁ a₂₂ ... a₂ₙ ⎥
⎢ ... ... ... ... ⎥
⎣ aₘ₁ aₘ₂ ... aₘₙ ⎦
重要なのは、表現行列は線型写像と基底の選び方によって一意に定まるということです。つまり、同じ線型写像でも基底を変えれば表現行列も変わります。
表現行列を求める基本的な手順は以下の通りです。
具体例として、多項式の微分を考えてみましょう。
V を2次以下の多項式全体とし、f: V→V を多項式の微分とします。
f(a + bx + cx²) = b + 2cx
V の基底として {1, x, x²} を選びます。このとき。
f(1) = 0
f(x) = 1
f(x²) = 2x
これらを基底 {1, x, x²} で表すと。
f(1) = 0・1 + 0・x + 0・x²
f(x) = 1・1 + 0・x + 0・x²
f(x²) = 0・1 + 2・x + 0・x²
よって、表現行列は。
A =
⎡ 0 1 0 ⎤
⎢ 0 0 2 ⎥
⎣ 0 0 0 ⎦
この行列を使うことで、任意の2次以下の多項式 p(x) = a + bx + cx² に対して、その微分 p'(x) を計算できます。
同じ線型写像でも、基底の選び方によって表現行列は変化します。この関係を理解するために、基底変換について考えてみましょう。
V の基底を {v₁, v₂, ..., vₙ} から {v'₁, v'₂, ..., v'ₙ} に変更し、W の基底を {w₁, w₂, ..., wₘ} から {w'₁, w'₂, ..., w'ₘ} に変更するとします。
このとき、元の基底に関する表現行列を A、新しい基底に関する表現行列を A' とすると、次の関係が成り立ちます。
A' = P⁻¹AP
ここで、P は V の基底変換行列、Q は W の基底変換行列です。
基底変換行列とは、ある基底から別の基底への変換を表す行列です。例えば、V の基底 {v₁, v₂, ..., vₙ} から {v'₁, v'₂, ..., v'ₙ} への変換行列 P は、v'ᵢ を vⱼ の線形結合で表したときの係数を並べた行列になります。
この関係は、表現行列の「相似変換」と呼ばれ、線型写像の性質を調べる上で非常に重要です。特に、適切な基底を選ぶことで表現行列を単純な形(例えば対角行列)にできることがあります。これが「対角化」の本質です。
表現行列の応用例をいくつか見てみましょう。
複素数 ℂ を実数 ℝ 上の2次元ベクトル空間とみなし、基底として {1, i} を取ります。
f: ℂ→ℂ を f(a) = ai と定義すると(つまり複素数 i を掛ける操作)。
f(1) = i
f(i) = -1
これを基底 {1, i} で表すと。
f(1) = 0・1 + 1・i
f(i) = -1・1 + 0・i
よって表現行列は。
A =
⎡ 0 -1 ⎤
⎢ 1 0 ⎦
この行列は90度回転を表す行列と同じ形をしています。これは複素数 i を掛けるという操作が幾何学的には平面上の90度回転に対応することを示しています。
トレースが0の2×2行列全体 V を考え、基底として。
v₁ = ⎡ 1 0 ⎤
⎣ 0 -1 ⎦
v₂ = ⎡ 0 1 ⎤
⎣ 0 0 ⎦
v₃ = ⎡ 0 0 ⎤
⎣ 1 0 ⎦
を選びます。行列 A = ⎡ a b ⎤
⎣ c -a ⎦ を固定し、f(X) = AX - XA という線型写像を考えると、その表現行列は。
⎡ 0 -c b ⎤
⎢ -2b 2a 0 ⎥
⎣ 2c 0 -2a ⎦
となります。この表現行列の行列式は0なので、f は単射でも全射でもありません。
表現行列のランクは、線型写像のランクと一致します。これは表現行列の重要な性質の一つです。
線型写像 f: V→W のランクは、像 f(V) の次元と定義されます。表現行列 A のランクは、A の列空間の次元です。これらが一致することは、線形代数の基本的な結果です。
さらに、表現行列のランクは基底の選び方によらず一定です。つまり、基底を変えて表現行列の形が変わっても、そのランクは変わりません。
これを利用して、線型写像の性質を調べることができます。
例えば、先ほどのリー代数の例では、表現行列の行列式が0でしたので、ランクは最大でも2です。V の次元は3なので、f は単射ではありません。
表現行列の理論は、行列の対角化と密接に関連しています。特に、V = W の場合(つまり線型写像が線型変換の場合)、適切な基底を選ぶことで表現行列を対角行列にできることがあります。
線型変換 f: V→V が対角化可能であるとは、V の基底 {v₁, v₂, ..., vₙ} が存在して、各 vᵢ に対して f(vᵢ) = λᵢvᵢ となる(λᵢ はスカラー)ことを言います。このとき、基底 {v₁, v₂, ..., vₙ} に関する f の表現行列は。
⎡ λ₁ 0 ... 0 ⎤
⎢ 0 λ₂ ... 0 ⎥
⎢ ... ... ... ... ⎥
⎣ 0 0 ... λₙ ⎦
という対角行列になります。
対角化可能な線型変換は、その性質を調べるのが容易です。例えば、行列のべき乗や指数関数などの計算が簡単になります。
多項式の微分の例に戻ると、先ほどの表現行列。
⎡ 0 1 0 ⎤
⎢ 0 0 2 ⎥
⎣ 0 0 0 ⎦
は対角化できません(固有値が全て0で、固有空間の次元が1のため)。これは微分演算子の特性を反映しています。
表現行列の理論は、線形代数の応用において非常に強力なツールです。特に量子力学や理論物理学では、物理系の対称性を表現行列を通じて研究することが多くあります。また、コンピュータグラフィックスでは、3次元空間の変換を表現行列として扱います。
表現行列の概念を理解することで、抽象的な線型写像を具体的な行列計算に落とし込むことができ、線形代数の理論と実践をつなぐ重要な橋渡しとなります。
以上、表現行列の定義から計算方法、応用例まで幅広く解説しました。表現行列は線形代数の中でも特に重要な概念の一つであり、様々な数学的対象を理解する上で欠かせないツールです。基底の選び方によって表現が変わるという性質は、同じ対象を異なる視点から見ることの数学的表現とも言えるでしょう。