表現行列とは、線形写像を行列の形で表現したものです。ベクトル空間間の線形写像を考えるとき、その振る舞いを数値的に把握するための強力なツールとなります。
具体的には、VとWをそれぞれn次元とm次元のベクトル空間とし、それぞれの基底をととします。線形写像に対して、各基底ベクトルviの像f(vi)はWの基底の線形結合として表すことができます。
これらの係数を成分とする行列。
以下は行列(matrix)を表しています。具体的には、m行n列の行列を表現しています:
$$
\begin{pmatrix}
a_{11} & a_{12} & \cdots & a_{1n} \\
a_{21} & a_{22} & \cdots & a_{2n} \\
\vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\
a_{m1} & a_{m2} & \cdots & a_{mn}
\end{pmatrix}
$$
行列とは、数や文字を縦横に矩形状に並べたものです。この表記では:
- $a_{ij}$ は行列の成分(要素)を表し、i番目の行、j番目の列に位置する値を示します
- 横の並びを「行」、縦の並びを「列」と呼びます
- $\cdots$ は横方向の省略を、$\vdots$ は縦方向の省略を、$\ddots$ は斜め方向の省略を表しています
- $m$ は行の数、$n$ は列の数を表します
を、基底$$\{v_i\}$$と$$\{w_j\}$$に関する$$f$$の表現行列と呼びます。
重要なのは、表現行列は基底の選び方に依存するということです。異なる基底を選べば、同じ線形写像でも異なる表現行列になります。しかし、基底を固定すれば、線形写像と表現行列は1対1に対応します。
表現行列を求める基本的な手順は以下の通りです。
1. 線形写像$$f: V \rightarrow W$$と両空間の基底を確認する
2. 各基底ベクトル$$v_i$$に対して$$f(v_i)$$を計算する
3. $$f(v_i)$$を$$W$$の基底で表現する
4. 係数を行列にまとめる
具体例として、2次以下の多項式空間$$V = \{a + bx + cx^2 | a,b,c \in \mathbb{R}\}$$と微分写像$$f(a + bx + cx^2) = b + 2cx$$を考えましょう。基底として$$\{1, x, x^2\}$$を選びます。
まず、各基底ベクトルの像を計算します。
- $$f(1) = 0$$
- $$f(x) = 1$$
- $$f(x^2) = 2x$$
これらを基底$$\{1, x, x^2\}$$で表すと。
- $$f(1) = 0 \cdot 1 + 0 \cdot x + 0 \cdot x^2$$
- $$f(x) = 1 \cdot 1 + 0 \cdot x + 0 \cdot x^2$$
- $$f(x^2) = 0 \cdot 1 + 2 \cdot x + 0 \cdot x^2$$
よって表現行列は。
$$A = \begin{pmatrix}
0 & 1 & 0 \\
0 & 0 & 2 \\
0 & 0 & 0
\end{pmatrix}$$
となります。
表現行列の大きな利点の一つは、線形写像の合成が行列の積に対応することです。つまり、線形写像$$f: U \rightarrow V$$と$$g: V \rightarrow W$$の合成$$g \circ f: U \rightarrow W$$の表現行列は、$$g$$と$$f$$の表現行列の積$$A_g A_f$$になります。
これにより、線形写像の繰り返し適用などの複雑な操作も、行列の累乗として簡単に計算できるようになります。
また、表現行列の性質を調べることで、線形写像の重要な性質も分かります。
- 表現行列が正則(逆行列が存在する)⇔ 線形写像が全単射
- 表現行列の階数 = 線形写像の像の次元
- 表現行列の核の次元 = 線形写像の核の次元
例えば、ある線形写像の表現行列の行列式が0であれば、その線形写像は全単射ではありません。
複素数空間における表現行列の応用例として、複素数の積の例を見てみましょう。
複素数体$$\mathbb{C}$$を実数体$$\mathbb{R}$$上の2次元ベクトル空間と見なし、基底として$$\{1, i\}$$を取ります。線形写像$$f: \mathbb{C} \rightarrow \mathbb{C}$$を$$f(z) = zi$$と定義します。
各基底ベクトルの像を計算すると。
- $$f(1) = 1 \cdot i = i = 0 \cdot 1 + 1 \cdot i$$
- $$f(i) = i \cdot i = -1 = -1 \cdot 1 + 0 \cdot i$$
したがって、表現行列は。
$$A = \begin{pmatrix}
0 & -1 \\
1 & 0
\end{pmatrix}$$
となります。この行列は90度の回転を表す行列であり、複素平面上での$$i$$による乗算が幾何学的には90度の回転に対応することを示しています。
この例は、表現行列が抽象的な演算を幾何学的に解釈する助けになることを示しています。実際、複素数の乗算$$z \mapsto az$$($$a$$は定数)は、表現行列を通じて平面上の回転と拡大/縮小の組み合わせとして理解できます。
表現行列の概念は、より高度な数学分野であるリー代数や多様体理論にも自然に拡張されます。特にリー代数においては、表現行列が重要な役割を果たします。
例えば、トレースが0の2×2行列全体からなるベクトル空間$$V$$を考えます。
$$V = \left\{ \begin{pmatrix} a & b \\ c & -a \end{pmatrix} \in M_2(\mathbb{C}) \mid a,b,c \in \mathbb{C} \right\}$$
この空間は3次元ベクトル空間であり、基底として。
$$v_1 = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{pmatrix}, \quad
v_2 = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 0 & 0 \end{pmatrix}, \quad
v_3 = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 1 & 0 \end{pmatrix}$$
を取ることができます。
ここで、固定された行列$$A = \begin{pmatrix} a & b \\ c & -a \end{pmatrix}$$に対して、線形写像$$f: V \rightarrow V$$を$$f(X) = AX - XA$$(交換子と呼ばれる)と定義します。
計算すると。
$$f(v_1) = -2bv_2 + 2cv_3$$
$$f(v_2) = -cv_1 + 2av_2$$
$$f(v_3) = bv_1 - 2av_3$$
したがって、表現行列は。
$$A_f = \begin{pmatrix}
0 & -c & b \\
-2b & 2a & 0 \\
2c & 0 & -2a
\end{pmatrix}$$
となります。この表現行列の行列式を計算すると0になることから、この線形写像は全単射ではないことがわかります。
このような交換子の表現行列は、リー代数の構造を理解する上で重要です。実際、リー代数の随伴表現はこのような形で定義され、リー群の性質を調べる強力なツールとなります。
表現行列の理論は、量子力学や相対性理論などの物理学の分野でも応用されており、対称性や保存則を数学的に記述するための基礎となっています。
以上のように、表現行列は線形代数の基本概念でありながら、高度な数学や物理学の理解にも不可欠なツールです。基本的な例題から始めて、徐々に応用例へと進むことで、その重要性と汎用性を実感することができるでしょう。