線型写像(線形写像)は、線形代数学において最も基本的かつ重要な概念の一つです。2つのベクトル空間の間の特別な関係を表現するものであり、ベクトル空間の構造を保存する写像として定義されます。
具体的には、V と W を同じ体 K 上のベクトル空間とするとき、写像 f: V → W が線型写像であるとは、以下の2つの条件を満たすことです。
これらの条件は、線型写像がベクトル空間の基本演算である「ベクトルの足し算」と「スカラー倍」を保存することを意味しています。言い換えれば、線型写像は線形結合を保存する写像なのです。
数学的に表現すると、任意のベクトル u₁, u₂, ..., uₙ ∈ V とスカラー c₁, c₂, ..., cₙ ∈ K に対して。
f(c₁u₁ + c₂u₂ + ... + cₙuₙ) = c₁f(u₁) + c₂f(u₂) + ... + cₙf(uₙ)
という関係が成り立ちます。この性質は、線型写像の本質を表しています。
線型写像の概念を理解するために、具体例とその幾何学的な意味を見ていきましょう。線型写像は様々な幾何学的変換を表現できます。
1. 拡大・縮小変換
行列 A = \begin{pmatrix} 3 & 0 \ 0 & 3 \end{pmatrix} で表される線型写像 f_A: ℝ² → ℝ² は、平面上のすべてのベクトルを3倍に拡大します。この変換では、ベクトルの方向は変わらず、大きさだけが3倍になります。
2. 非等方的拡大・縮小
行列 B = \begin{pmatrix} 3 & 0 \ 0 & \frac{1}{2} \end{pmatrix} で表される線型写像 f_B: ℝ² → ℝ² は、x軸方向に3倍、y軸方向に1/2倍する変換です。この変換により、正方形は長方形に変形します。
3. 鏡像反転
行列 C = \begin{pmatrix} -1 & 0 \ 0 & 1 \end{pmatrix} で表される線型写像 f_C: ℝ² → ℝ² は、y軸に関する鏡像反転を表します。この変換では、各点がy軸に関して対称な位置に移動します。
4. 射影
行列 E = \begin{pmatrix} 1 & 0 \ 0 & 0 \end{pmatrix} で表される線型写像 f_E: ℝ² → ℝ² は、平面上のすべての点をx軸に射影する変換です。この変換により、2次元の情報が1次元に圧縮されます。
これらの例からわかるように、線型写像は様々な幾何学的変換を表現でき、その性質を理解することで、複雑な変換も基本的な操作の組み合わせとして理解できるようになります。
線型写像 f: V → W に関連する重要な概念として、「核(kernel)」と「像(image)」があります。これらは線型写像の性質を理解する上で非常に重要です。
核(kernel)の定義
線型写像 f: V → W の核(Ker(f))は、f によって0ベクトルに写されるベクトル全体の集合です。
Ker(f) = {v ∈ V | f(v) = 0}
核は常に V の部分空間となります。核の次元は、線型写像によって「潰れる」方向の数を表しています。
像(image)の定義
線型写像 f: V → W の像(Im(f))は、V のベクトルが f によって写される先のベクトル全体の集合です。
Im(f) = {w ∈ W | ∃v ∈ V, f(v) = w}
像も W の部分空間となります。像の次元は、線型写像が「保存する」独立な方向の数を表しています。
次元定理(rank-nullity theorem)
線型写像 f: V → W において、V が有限次元ベクトル空間であるとき、次の重要な関係が成り立ちます。
dim(V) = dim(Ker(f)) + dim(Im(f))
この定理は、線型写像の核の次元(nullity)と像の次元(rank)の和が、元のベクトル空間の次元に等しいことを示しています。これは線型写像の基本的な性質を表す重要な定理です。
例えば、3次元空間から2次元空間への線型写像で、核の次元が1であれば、像の次元は必ず2となります(3 = 1 + 2)。この関係は、線型写像がどのように空間を変換するかを理解する上で非常に役立ちます。
線型写像と行列には深い関係があります。有限次元ベクトル空間間の線型写像は、適切な基底を選ぶことで行列として表現できます。この関係は線形代数の理解を深める上で非常に重要です。
線型写像の行列表現
V と W を有限次元ベクトル空間とし、それぞれの基底を {v₁, v₂, ..., vₙ} と {w₁, w₂, ..., wₘ} とします。線型写像 f: V → W に対して、各基底ベクトル vⱼ の像 f(vⱼ) は W の基底で一意的に表現できます。
f(vⱼ) = a₁ⱼw₁ + a₂ⱼw₂ + ... + aₘⱼwₘ
これらの係数 aᵢⱼ を並べた m×n 行列 A = (aᵢⱼ) が、選んだ基底に関する f の表現行列です。
行列による計算
ベクトル v = c₁v₁ + c₂v₂ + ... + cₙvₙ ∈ V の像 f(v) を計算するには、v の座標ベクトル [v]ᵦ = (c₁, c₂, ..., cₙ)ᵀ に表現行列 A を掛ければよいのです。
[f(v)]ᵧ = A[v]ᵦ
ここで [f(v)]ᵧ は f(v) の W における座標ベクトルです。
基底変換と表現行列の関係
V と W の基底を変更すると、同じ線型写像 f に対する表現行列も変化します。基底の変換行列を P と Q とすると、新しい表現行列 A' は次のように計算されます。
A' = Q⁻¹AP
この関係は、線型写像が基底の選び方に依存せず、本質的に同じ変換を表していることを示しています。
線型写像の合成と行列の積
2つの線型写像 f: U → V と g: V → W の合成 g∘f: U → W は、それぞれの表現行列 A と B の積 BA として表現されます。この対応は、線型写像の合成と行列の積の間の自然な関係を示しています。
線型写像は純粋数学だけでなく、様々な応用分野で重要な役割を果たしています。また、線型写像の重要な特性として「階数(rank)」の概念があります。
線型写像の階数
線型写像 f: V → W の階数は、その像 Im(f) の次元として定義されます。
rank(f) = dim(Im(f))
行列表現を持つ線型写像の場合、その階数は表現行列の階数と一致します。階数は線型写像がどれだけの情報を保存するかを表す指標となります。
線型写像の応用例
階数と次元定理の応用
線型写像の階数と次元定理は、線形方程式系の解の構造を理解するのに役立ちます。例えば、線形方程式系 Ax = b の解の存在条件は、拡大係数行列 [A|b] の階数と係数行列 A の階数の関係によって決まります。
また、線型写像の階数は、データ圧縮や次元削減の文脈でも重要です。例えば、主成分分析では高次元データを低次元空間に射影する線型写像を構成し、その階数を制限することでデータの次元を効果的に削減します。
線型写像の理論は、抽象的な概念ですが、その応用範囲は非常に広く、現代の科学技術の様々な分野で基礎となっています。
線型写像は代数学の観点から見ると、ベクトル空間の間の「準同型写像(homomorphism)」として理解することができます。この視点は、線型写像の本質をより深く理解するのに役立ちます。
準同型写像としての線型写像
ベクトル空間は、加法群構造とスカラー倍の演算を持つ代数的構造です。線型写像は、これらの演算を保存する写像、つまり代数的構造を保存する準同型写像なのです。
抽象代数学の言葉を用いれば、線型写像とは「体上の加群としてのベクトル空間の構造を保つ準同型」と定義できます。この観点から、線型写像の性質を代数学の一般的な枠組みの中で理解することができます。
圏論的視点
さらに進んだ視点として、線型写像は圏論の言葉で理解することもできます。ベクトル空間全体は、線型写像を射とする圏を形成します。この圏の中で、線型写像の合成や恒等写像などの概念が自然に定義されます。
圏論的な視点は、線型写像の性質を他の数学的構造との関連の中で理解するのに役立ちます。例えば、線型写像の核や像の概念は、圏論における「カーネル」や「イメージ」の特殊な場合として理解できます。
線型写像の種類と名称
線型写像には、その性質によって様々な名称があります。
これらの名称は文脈によって使い分けられますが、基本的な概念は同じです。
線型写像の一般化
線型写像の概念は、より一般的な代数的構造に拡張することができます。例えば、環上の加群間の準同型や、より一般的な代数系間の準同型などがあります。これらは線型写像の自然な一般化と見ることができます。
また、多重線型写像(multilinear map)は、複数の変数に関して線型性を持つ写像として定義され、テンソル積の普遍性によって特徴づけられます。これは線型代数のより高度な話題につながります。
線型写像を準同型の観点から理解することで、線形代数と抽象代数学の橋渡しができ、より深い数学的洞察が得られるのです。
以上、線型写像の定義から応用まで、様々な側面から解説しました。線型写像は線形代数の中心的な概念であり、その理解は数学的思考を深める重要な鍵となります。